開設者・指導者 原野和芳
日本空手協会五段、指導員B,審判員B,審査員C:
11歳より父親の道場で剛柔流を始める。
福岡大学(医)入学後、神野勝師範(現・福岡県多々良支部)の指導の下、日本空手協会に入門し稽古に励む。
学生時代西日本医科学生大会3年連続団体組手優勝、個人戦組手初代優勝者、九州山口大会団体組手優勝、剛柔流全国大会福岡県代表など。
仕事にてインドネシア・スラバヤ市(2年)、モーリタニアイスラム共和国・ヌアクショット市(3年)、ルワンダ・キガリ市(2年)、中華人民共和国・天津市(3年)などで現地の空手家の指導にあたる。
昨今、青少年による傷ましい犯罪や事件が報道されない日はありません。夢がない、希望がない、働いても仕方ない、頑張っても報われない等々、様々は弁明や理由が犯罪者の口から出てきます。それら全てを無意味とか、逃げ口上とか、という単純な言葉で切り捨てることはできません。しかし、一人の人間の人生として、その行動や結果を見たとき、そのような生き方に賛同すると言われる方は少ないでしょう。
人間は肉体と心から成り立っていることは自明です。そして肉体と心はいつもお互いに影響しあっている存在です。病気やケガをすれば心も晴れません。悩みがあれば、身体も不調になりがちです。反対に心が喜んでいれば身体が万全でなくても幸せに生きることも可能です。健康であれば、一時期落ち込んでいても復活するチャンスもあるでしょう。武道とはそのように、肉体と心を律する訓練の場だと理解していただければと思います。習い事というのは、日常生活の中で、時にとても負担になる事もあるでしょうし、それどころではない!なんていう事情も起こり得るでしょう。でもそのように、自身の心身について真正面から向き合う時間と場所を作ること自体が、心身を健全に・・・もっと平たくいえば、人生を健全にする大事な機会だとは思えないでしょうか?忙しいから、やる気がでないから、調子が悪いからこと、一週間のうち、僅かなものですけど、自身と向き合う時間を作ってください。
私が累計10年ほど途上国を中心に海外生活をしてきて感じたこと、世界は日本の文化と武道を必要としている!ということです。アフリカのモーリタニアという国をご存じでしょうか?日本ではタコの産地としてご存じの方もいるでしょう。サハラ砂漠の最西端にあり、大西洋に面する西アフリカの国です。旧宗主国はフランスですが、もともとはセネガルと同じ国でしたが、独立の際に分かれました。私が赴任して2010年では日本の3倍以上の国土に300万人余りしか住んでいない貧しい国です。生きることさえも容易でない国でも空手道場は幾つもあります。そこで稽古する青少年は、「イチ、二・・・・」となんと日本語で練習中は数を数えているのです!その光景を見て胸が熱くなりました!私はアフリカではモーリタニアとルワンダで生活していましたが、アフリカを旅行する際はできるだけ空手着を持参して、日本空手協会の支部がある場合は、責任者に連絡して一緒に稽古できるようお願いしていました。どこの国でも日本から来た空手の黒帯は大歓迎です。単に観光では味わえないような出会いが幾つもありました。
私はこんな感動や出会いを、ぜひ、日本の若者にももっともっと味わってもらいたい!そして、夢が無い、人生に意味がない、なんて、そんな厳しい環境で生活している人たちと一緒に汗を流して交わって、それでも同じことが言えますか?まだそんな気持ちになりますか?と訊ねたいと思います。
人生も地域も、そして国際情勢も決して楽観できる順風満帆ではありませんが、ぜひ、そう悪いものじゃない、という気づきを共有できればと願っています。
最後に、国際という言葉にどんなイメージを持たれるでしょうか?国際ってなんだかとても特別なステージを思い浮かべる方もおられますが、国際とは国益と国益、文化と文化、思想と思想のぶつかり合いです。まず自身が日本人であることを知り、しっかりした日本人にならずに、国際人にはなり得ない、間違っているかもしれませんが、これが持論です。
空手道は武道です。武道には幾つかの特徴がありますが、中国の戦国時代、孫氏の孫臏は次のように語りました。「武とは、戈(矛―ほこ)を止める、つまり戦争や争いを止める」。武道とは孫氏の弁を借りるなら、まさに争いを防ぐ道ということです。
このような武道ではあるものの、その稽古にはどうしても怪我や事故はつきものです。指導者として怪我や事故へ細心の注意を払いますが、100%は防ぎ得ないということはご了解ください。
また誠意をもって指導に当たりますが、すべての希望者に同等の指導や成果を生めないこともあります。指導方針への希望には可能な範囲でお応えしたいとは思いますが、当道場の方針にご賛同いただけない場合は、入門をお断りする場合もありますので、ご容赦ください。
さらに、一流の競技者や選手を育てることを第一義とはしていません。空手道の技術と精神を正しく継承することで、人間成長の糧とすることを目標としています。級段位審査や試合は、あくまでも自身の道のりを確認し、反省するための物差し、或いはツールであるとご理解ください。